2008年01月11日

神のかたちとは何か

創世記1章26-28節 (新改訳聖書)

1:26 そして神は、「われわれに似るように、われわれのかたちに、人を造ろう。そして彼らに、海の魚、空の鳥、家畜、地のすべてのもの、地をはうすべてのものを支配させよう。」と仰せられた。

1:27 神はこのように、人をご自身のかたちに創造された。神のかたちに彼を創造し、男と女とに彼らを創造された。

1:28 神はまた、彼らを祝福し、このように神は彼らに仰せられた。「生めよ。ふえよ。地を満たせ。地を従えよ。海の魚、空の鳥、地をはうすべての生き物を支配せよ。」



ここに出てくる「神のかたちImago Deiは、歴史的に3通りに解釈されてきた。(エリクソンによるまとめ)


実体的見解
一番オーソドックスで伝統的な解釈。神の性質を分け与えられ、知性と感情、意志をもつ存在であること。

関係的見解
ブルンナーやバルトに代表される解釈。神と関係をもち、応答できる能力を指す。

機能的見解
聖書の文脈に重点をおく理解。神の代理人としての統治権をさす。



人間はどのようなものとして創られたか


  1. 人類は普遍的に神のかたちをもつ

  2. 神のかたちは堕落の結果においても失われていない

  3. 神のかたちがあるので他の人より優位な存在、という意味ではない

  4. 神のかたちは何かの条件に左右されることのない根元的なものである

  5. 神のかたちは第一義的には実体的、構造的なものである

  6. 神のかたちは神と人、人と人との関係性、あるいは愛をもった統治において意味をもつものである

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タグ:神のかたち
posted by nobu at 11:44| Comment(16) | TrackBack(4) | 創世記(旧約聖書) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年10月15日

使徒の働き9章26-28節

タイトル 「150人151脚」
聖書箇所 使徒の働き9章26-28節

テーマ:人生の回復を共に喜ぶ仲間
ねらい:キリストにあって人生の回復が与えられることを知る。大切な仲間の人生の回復を喜び、支援する者となる。

内容
1. キリストにある人生の回復
パウロは、熱心なユダヤ教徒であり、それゆえに教会を激しく迫害していました。しかし、迫害するために向かったダマスコへの途上でキリストに出会い、アナニヤの助けを借りて、キリストに従う新しい歩みを始めました(使徒9:1-19)。
イエス・キリストにあるならば、一番の反対者であった人物でさえ赦され、人生の回復を手にすることができるのです。

2. 信頼し受け入れる仲間
しかし、教会は迫害者であったサウロを受け入れることに困難を感じていました。当然のことでしょう。
バルナバ(慰めの子という意味)は、サウロを信じ、彼の歩みを引き受け、使徒たちとの間をとりもちました。それによって、教会はサウロが確かにキリストに出会って変えられたことを知り、仲間として迎え、ともに宣教の御業に励みます。
このようにして、教会はひとりの人生の回復を受け入れ、支援しながらともに歩む仲間なのです。


理解の助けのために

サウロ

熱心なユダヤ教徒であり、ガマリエルのもとで厳格な宗教教育を受けた。その熱心さの故に、教会を迫害する意に燃えていた。(9:1-2参照)しかし、迫害にいくダマスコへの途上で主キリストと出会い、回心する。ダマスコでアナニヤの立ち会いの下、バプテスマを受ける。


仲間に入ろうと試みた

ダマスコでは、バプテスマを受け、弟子たちとともに過ごすことができた。その後、3年半アラビアに退き、満を持してエルサレムに上ってきた。いよいよ、教会の一員として宣教に励もうとしている。


信じないで恐れていた

エルサレムの教会は、ほんの数年前に教会を迫害していたサウロの記憶が薄れていなかった。大切な信仰の家族を迫害し、殺した人物を仲間として受け入れることは、当然容易なことではない。


バルナバ

名前は「慰めの子」の意味。サウロに責任をもって関わり、彼のこれからの人生のために支援することを申し出た人物。かつての迫害者を擁護することに、仲間からの非難があったことは間違いない。しかし、バルナバはあえてその役を買って出て、教会の指導者たちにサウロの橋渡しをした。


弟子たちといっしょにいて自由に出入りし

弟子たちは、サウロに働かれた神を信じ、サウロの信仰を信じ、仲間として迎え入れる。自由に出入りするとは、仲間であることのもっとも象徴的な表現。




理解のための質問
・サウロはどうして教会を迫害していたのですか。また、その様子はどのようなものでしたか。
・サウロがダマスコへの途上で経験したことは、どのようなことでしたか。
・サウロは、ダマスコでどのように仲間に加えられましたか。
・かつての迫害者であったサウロが仲間になろうとしたとき、教会はどのような反応をしましたか。
・サウロが受け入れられていくために必要だったのは、何ですか。
・教会は、それぞれの人生の回復をともにするために、どんな式典をどのような意味を込めて行っていますか。
・あなたはどのようにして教会に受け入れられましたか。
・あなたは、これからの人々をどのように受け入れますか。


キリスト教牧師の聖書メッセージ : 150人151脚
posted by nobu at 05:29| Comment(0) | TrackBack(1) | 使徒の働き(新約聖書) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年10月09日

「大野教会で心に残っていること」から教えられたこと

 2007年9月23日(日)、大野キリスト教会の4回の礼拝の中で、出席者のみなさんにカードを記入していただきました。「大野教会で心に残っていることを教えてください」という設問に、一人一人が自由に記入するものでした。多くの方々が記入し、提出してくださったこと、感謝でした。

 その一つ一つのカードを読みながら、心が熱くなり、柄にもなく感動した、というのは本当のこと。その姿は恥ずかしくて、みなさんには、お見せできない、という感じでした。

 実は、このカードを記入していただくにあたり、ある程度、こんなことが挙げられるだろう、と予想していました。教会は多くの行事をしますし、過去には思い切った試みやイベントもありましたので、そういうことがたくさん思い出として書かれているだろう、と予測していたのです。

 ところが、提出されたカードに書かれていたことは、私の期待を大きく裏切るものでした。その裏切りは、良い裏切りであり、私に多くのことを教えてくれました。

 以下に、みなさんから教えていただいた大野キリスト教会のすばらしさを一部だけですが、ご紹介しましょう。続きを読む
posted by nobu at 11:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 教会形成論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年10月07日

使徒の働き6章1-6節

タイトル: 本当の競争相手に向かって
聖書箇所: 使徒の働き6章1-6節
テーマ:教会内の信頼関係と役割分担
ねらい:お互いに信頼しあって共に歩もう


内容



  1. 教会の中での不協和音
    初代教会は、財産を共有にして、お互いを助け合っていました。しかし、配給のことでヘブル語を話すユダヤ人とギリシャ語を話すユダヤ人の間に衝突がおきます。これは、単に話すことばの違いだけでなく、お互いに対する優劣の感情を含むものでした。
    使徒たちは、自分たちが配給のことに細かに関わることを避け、公平に扱ってくれる、信頼できる人たちを選びます。そのことによって、使徒たちはみことばの宣教に専念でき、配給に対する不公平感も解消されました。


  2. 宣教をともに担うために
    私たちは、大きな目標を目指して、しかも日常的な課題も抱えて生きています。そのどちらも、とても大切なことです。初代教会は役割分担をすることで、大きな目標を見失わず、日常的な課題も解決することができました。お互いの間の信頼関係を再確認し、協力し合うことができた結果です。




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posted by nobu at 05:51| Comment(0) | TrackBack(1) | 使徒の働き(新約聖書) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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