タイトル 「150人151脚」聖書箇所
使徒の働き9章26-28節テーマ:人生の回復を共に喜ぶ仲間
ねらい:キリストにあって人生の回復が与えられることを知る。大切な仲間の人生の回復を喜び、支援する者となる。
内容
1. キリストにある人生の回復
パウロは、熱心なユダヤ教徒であり、それゆえに
教会を激しく迫害していました。しかし、迫害するために向かったダマスコへの途上でキリストに
出会い、アナニヤの助けを借りて、キリストに従う新しい歩みを始めました(使徒9:1-19)。
イエス・キリストにあるならば、一番の反対者であった人物でさえ赦され、人生の回復を手にすることができるのです。
2. 信頼し受け入れる仲間
しかし、教会は迫害者であったサウロを受け入れることに困難を感じていました。当然のことでしょう。
バルナバ(慰めの子という意味)は、サウロを信じ、彼の歩みを引き受け、使徒たちとの間をとりもちました。それによって、教会はサウロが確かにキリストに出会って変えられたことを知り、仲間として迎え、ともに宣教の御業に励みます。
このようにして、教会はひとりの人生の回復を受け入れ、支援しながらともに歩む仲間なのです。
理解の助けのために
- サウロ
- 熱心なユダヤ教徒であり、ガマリエルのもとで厳格な宗教教育を受けた。その熱心さの故に、教会を迫害する意に燃えていた。(9:1-2参照)しかし、迫害にいくダマスコへの途上で主キリストと出会い、回心する。ダマスコでアナニヤの立ち会いの下、バプテスマを受ける。
- 仲間に入ろうと試みた
- ダマスコでは、バプテスマを受け、弟子たちとともに過ごすことができた。その後、3年半アラビアに退き、満を持してエルサレムに上ってきた。いよいよ、教会の一員として宣教に励もうとしている。
- 信じないで恐れていた
- エルサレムの教会は、ほんの数年前に教会を迫害していたサウロの記憶が薄れていなかった。大切な信仰の家族を迫害し、殺した人物を仲間として受け入れることは、当然容易なことではない。
- バルナバ
- 名前は「慰めの子」の意味。サウロに責任をもって関わり、彼のこれからの人生のために支援することを申し出た人物。かつての迫害者を擁護することに、仲間からの非難があったことは間違いない。しかし、バルナバはあえてその役を買って出て、教会の指導者たちにサウロの橋渡しをした。
- 弟子たちといっしょにいて自由に出入りし
- 弟子たちは、サウロに働かれた神を信じ、サウロの信仰を信じ、仲間として迎え入れる。自由に出入りするとは、仲間であることのもっとも象徴的な表現。
理解のための質問
・サウロはどうして教会を迫害していたのですか。また、その様子はどのようなものでしたか。
・サウロがダマスコへの途上で経験したことは、どのようなことでしたか。
・サウロは、ダマスコでどのように仲間に加えられましたか。
・かつての迫害者であったサウロが仲間になろうとしたとき、教会はどのような反応をしましたか。
・サウロが受け入れられていくために必要だったのは、何ですか。
・教会は、それぞれの人生の回復をともにするために、どんな式典をどのような意味を込めて行っていますか。
・あなたはどのようにして教会に受け入れられましたか。
・あなたは、これからの人々をどのように受け入れますか。
キリスト教牧師の聖書メッセージ : 150人151脚